ブックカバー写真 『土曜の夜と日曜の朝』
By アラン・シリトー
孤独でアナーキーな姿勢を見せる労働者層の若者達...
非常に英国的な香りが漂う文壇デビュー作
 これもまた立派な文学作品である。今日は非常に英国的な香りが漂うアラン・シリトーの文壇デビュー作『土曜の夜と日曜の朝』をご紹介する。
 アラン・シリトーは英国人であり『土曜の夜と日曜の朝』でデビューしたのは1958年。それより少し前、英国文壇では“怒れる若者達”と呼ばれる一派が一世を風靡していてたちまちシリトーもその一派に組み込まれてしまった。そもそも“怒れる若者達”とは何なのか? 不況にあえぐ英国において孤独でアナーキーな姿勢を見せる労働者層の若者達... それが“怒れる若者達”である。
 『土曜の夜と日曜の朝』。物語は自転車工場で働く若者、アーサー・シートンが酔っぱらって階段を転がり落ちるところから始まる。だがパワフルな彼はしっかり同僚の妻ブレンダのベッドに転がり込む。英国は戦後のどん底から脱して“ウッドパイン(労働者が好んだタバコ)は吸い放題、会社ではブラックプールの慰安旅行、家ではテレビが見ていられる”という状況になっていた。アーサーは職長の目にはふつうの能力の工員に見えるようにしながら、実際には短時間で多くを仕上げて相応の出来高賃金を稼いでいた。だが彼はそれを将来の糧として考えていない。ある程度溜まれば高価な服の購入にあて、土曜日にはパブをはしごして散在、人妻に言い寄り不倫関係を結ぶ...。
 新聞はしっかり読むがチャーチルが言っていることは信用できない等とパブで息巻く... 当時の英国の労働者階級にはそんな若者がゴロゴロしていた。だが“怒れる若者達”一派の作家達は実際には皆、中産階級以上の出で比較的裕福な人々がほとんどだった(そもそも英国では作家というのは裕福な家庭から出現するのが一般的だった)。ところがアラン・シリトーは労働者階級の出身。1928年になめし皮職人の息子として生まれ、自身も自転車工場やベニヤ板工場で職工として働いた経験を持つ。しかしそのような経緯から『土曜の夜と日曜の朝』を持ち込まれた出版社からは“労働者がこんな考え方をするものか!”と突き返される等、デビューまではいろいろな苦労があったようである。
 ある日ブレンダが妊娠したと言いだし大騒ぎになったアーサーだが何とか事なきを得る。しかし懲りない彼はブレンダと付き合いながら、ブレンダの妹でやはり亭主持ちのウィニーとも付き合い、さらにパブで知り合った若い娘(彼女は独身である)とも付き合い始める。だがどうやらブレンダの亭主ジャックが事情に勘づき始めた上にウィニーの軍人の亭主ジムがアーサーを探しているという噂を聞く。そして“鵞鳥祭”の日、ブレンダ、ウィニーと遊びに出たアーサーはドリーンに目撃された上に、ジャックやジムとも鉢合わせしてしまう...。
 この小説を読んだ時脳裏にイメージされた音楽は“パンク・ロック”。80年代の英国には再び“怒れる若者達”が出現し始めた。もはや仕事もなくあぶれた若者達はパンク・ロックを支持しつつ無気力な生活を送っていた。だが『土曜の夜と日曜の朝』で描かれる時代はまだマシだし、主人公アーサー・シートンも少なくとも“土曜日にはパブをはしごする”だけの気力は持っていた。だが体制に対する怒りなどアナーキーな姿勢は共通しているかもしれない。
 第二部は殴られ負傷したアーサーがベッドで瞑想するところから始まる。そこへ見舞いに来たドリーン。彼女が帰った後“まだ婚約もしてねえのに、嫁さん気取りでいやがる! 俺は自由でいつづけるんだ”と毒づくアーサー。そこから場面はクリスマスに移り従兄弟達と三日三晩遊び倒すアーサーの姿が描かれた後、再びアーサーはドリーンと会う。そして...
 この小説は二部構成となっていて第一部が“土曜の夜”、第二部が“日曜の朝”である。夜と朝の対比は何を意味しているのか? そのあたりを意識しながら読むとまたちょっと味わい深い小説である。また作者はこの作品で“ピカレスク(悪漢小説)”を目指していたとされ、そのため当初「アーサー・シートンの冒険」と付けていたタイトルを変更した模様である。またこの傾向は次作、短編集である「長距離走者の孤独」でより顕著になっていく。
 尚、アラン・シリトーは先に述べたような経歴故に“労働者作家”と呼ばれたが、本人はそれを死ぬほど嫌い、自分はどんな階級にも属さない“脱階級ルンペンだ!”と言っていたようである。
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