ブックカバー写真 『メッカを撃て』
By A・J・クィネル
奇跡をでっち上げろ?
覆面作家が優れた取材力を生かして書いたスパイ小説の傑作
 最近芥川賞だったか直木賞だったかに覆面作家がノミネートされた(と思っているが間違い?)。そして覆面作家と言えば80年代初期あたりから活躍しているA・J・クィネルを紹介しなければならないだろう。今日はそんな彼の最高傑作とも言われている『メッカを撃て』をご紹介する。
 『メッカを撃て』。物語はCIA作戦部長のモートン・ホークがマレーシアのジャングルで隠遁生活を送る老スパイ、プリチャードを表敬訪問するシーンで始まる。だがホークはここで驚くべき話を聞かされることになる。プリチャード曰く“イスラムの願望である新予言者マハディをメッカ巡礼のハイライト、ハジの際にでっち上げてこちらの思いのままに操れば、イスラム世界を自由にコントロールできる”... プリチャードから長い年月をかけて考え抜かれた具体的な作戦内容を聞かされて、半信半疑だったホークも納得、上層部の説得も成功しこの作戦は“ミラージュ作戦”と命名された。
 さて問題はどのような奇跡を演出にするか? そして誕生した新予言者を如何にして操作するか? ホークはプリチャードの意向に沿って英国情報部(MI6)と組むことにする(その意図はいざとなったら全責任をおっかぶせて知らん顔が出来るからである)。だがMI6の責任者、作戦副部長のピーター・ジンメルは非常に優れた人物で、ホーク以下アメリカチームが思いもよらない新予言者コントロール方法を提案したり、さらにCIAとしては絶対に海外に知られていないはずのレーザー照射技術を応用した奇跡演出方法を考案したりする。結局、奇跡の演出は宇宙からレーザー光線を発して生け贄のヤギを消失させるということに決定した。またジンメル率いる英国チームは“マハディ”候補を絞り込みホーク達の合意のもとでアブ・カディルという放浪の修行者を選定、“マハディ”出現の噂をばらまくとともに、アブ・カディルがいつも修行する洞窟に高度な音響装置を設置、ロック・バンドのライブをミキシングしている若者に特殊効果を演出させる。主の声を聞かされたアブ・カディルは自分こそが“マハディ”であることを覚醒する... また優れたスパイ同士であるホークとジンメルはこれを機会に親交を温めていった。
 だがひょんなことからソ連のKGBが英米のこの動きを察知、海外作戦本部長であるワシーリ・ゴルディクは妻を亡くし独身、そしてバレエ狂のジンメルに対し“つばめ”(つまり美人局である)を送り出した。相手が処女で純真無垢なバレリーナ、マヤだったため不覚にも罠に落ちるジンメル。これで“ミラージュ作戦”はお蔵入りかと思われたが、米英ソの情報部責任者が協議した結果、前代未聞の米ソ合同作戦として継続することとなる。申し訳なさそうなゴルディク、冷たい態度のホークとともにオブザーバ的に参加するジンメル。そしてハジの時間は刻々と迫る。奇跡は演出され新しい予言者は出現するのか? そして米ソはイスラム世界を自由に操れる鍵を手に入れることが出来るのか?
 A・J・クィネルは覆面作家で通している理由に“取材の自由を確保するため”であることを挙げている。思えば第一作「燃える男」ではやけに詳しいイタリア・マフィアの内幕が書かれていたし、本書ではイスラム社会、次作「スナップ・ショット」ではイラクとイスラエルという濃いテーマに想像力を加えて物語を創造している。
 だがフィクションとノンフィクションを織り交ぜた優れた作品作りだけがクィネルの魅力ではない。第一作では厭世的な傭兵クリーシィが活発な少女と触れあった結果徐々に心理的変化を遂げていく姿が描かれる。本作『メッカを撃て』ではソ連から亡命してきた若いバレリーナとジンメルの心の交流などが丁寧に描かれていて作品に厚みを与えている。また往々にして悪党に描かれがちなソ連チームも極めて人間的に描いてある点も評価したい。
 いずれにしてもざーっと読んだ限りは何とも荒唐無稽な展開に思える物語である。しかし『メッカを撃て』はイスラムに対する十分な取材力(=研究・分析)があって初めて成立する緻密なプロットが際だつ優れたスパイ小説である。それに登場人物たちの心理面や係わり合いなどを丁寧に書き込んでますます素晴らしい作品と言える。さらに言うなら“そう来るんか!”と思わせてくれるどんでん返しも用意されている。そして考えようによっては『メッカを撃て』はクィネルの最高傑作と言っても過言ではないと思う。
 尚、クィネルは未だに覆面作家として健在である。クリーシィを主人公とした作品をいくつか書き継いでいる他、“各国のスパイ4人が一人の女性と関係を持った結果女の子が産まれるが誰が父親かは明かされていない。そうこうしているうちにその子がさらわれ4人は一致団結して娘かも知れない女の子の救助に向かう”という何ともユニークな内容の「イローナの4人の父親」など相変わらず興味深い内容の作品を我々に提供してくれている。
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