ジャケ写 “Lou Rawls - Greatest Hits”
Lou Rawls (Music CD)
やっぱりもの凄い人だった...
偉大なるソウル・シンガーへのリスペクトも込めて
 “ベスト盤で紐解くソウル・シンガー”特集も今日で第四回目を迎える。今日はちょっと偏った紹介になったかと思いつつルー・ロウルズというシンガーについて書いてみたい。
 一般にソウル・シンガーと呼ばれる人達の中には素晴らしい才能を持った人達が多く存在する。ただ悲しいかな、多くのシンガーの記憶はどうしてもヒット曲と連動している。ならばベスト盤からシンガーの魅力を探っていこう、というのがこの特集の主旨である。
 さて今日ご紹介するルー・ロウルズとはどんな人物なのか? 1933年、シカゴ生まれ。小さい頃から祖母の影響でゴスペルを歌いはじめる。1958年、大きな事故に巻き込まれ一週間近く生死をさまよったのがきっかけ?でゴスペルからソウルやジャズなど世俗的な音楽に転向。活動拠点もロサンゼルスに移しコーヒーショップやライブハウスで歌っているところをたまたま居合わせたキャピトルレコードのプロデューサーに認められる。デビューは1961年。1961年には「恋はつらいね」の大ヒットを記録、グラミー賞の最優秀R&Bボーカル賞に選出。1971年には「ナチュラル・マン」がヒット、再び同じ賞を受賞している。リリースした作品集70枚、出演した映画18本、テレビシリーズ16本、本国ではアンハイザー・ブッシュというビールのCMでも有名である...。
 もの凄い人である。しかし日本では一部通を除き全く無名というのはどういうことだ? 2005年のワールドシリーズ第二戦がシカゴで開催された時にはルー・ロウルズが国家斉唱を担当した。当時シリーズに進出したシカゴ・ホワイトソックスには井口(現ロッテ)が所属していたのでゲームそのものは話題になったはずだが...。
 そんな彼も2006年に肺ガンで亡くなってしまった。今や手遅れの感もあるが偉大なるソウル・シンガーへのリスペクトも込めて私の手元にある彼のベスト盤『ルー・ロウルズ・グレイテスト・ヒッツ』をご紹介したい。すでに書いたとおり彼の活動歴は長いが、やはり私がリアルタイムで聴いたのは70年代中盤。彼はソウル、R&B、ポップ、ジャズと様々なジャンルを手掛けてきたことでも有名だが、この頃はフィラデルフィア・インターナショナル(PIR)というレコード会社に所属しており、流麗なオーケストレーションに乗せてその優れたボーカルを披露していた。
 さてベスト盤のオープニングは「レディ・ラヴ」。いかにも70年代的な伴奏に乗って魅惑の低音ボーカルが炸裂する(彼の低音は4オクターヴ出ると言われていた)。1978年に24位まで上昇。続く「シー・ユー・ホエン・アイ・ゲット・ゼア」は1977年に66位を記録した作品だが、これは“ギャンブル/ハフ”と通称される敏腕ソングライター/プロデューサー・チーム、ケニー・ギャンブルとレオン・ハフの手になるもの。ルーは彼らに乞われてフィラデルフィア・インターナショナルに移籍したらしい。そして何より彼最大のヒットになったのが「別れたくないのに」。こちらもギャンブル/ハフ作品だが、静かで思わせぶりな出だし、そして一気に割り込んでくるダイナミックなピアノとコーラスに乗って熱のこもったボーカルが展開される。私のようなソウル音痴ですら虜にした素晴らしい歌声。だが1976年、この曲は2位止まりであった(飛ぶ鳥を落とす勢いになる直前のビージーズ「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」に阻まれる... ある種の悲劇であった)。しかしいずれにしても続くシングルとしてリリースされ64位を記録した「グルーヴィー・ピープル」とともに忘れられない楽曲であった。
 「ワン・リヴ・トゥ・リヴ」「レット・ミー・グッド・トゥ・ユー」「シット・ダウン・アンド・トーク・トゥ・ミー」そして1980年に77位となった「ユー・アー・マイ・ブレッシング」まではギャンブル/ハフ作品である。残念ながらポピュラーチャートでのヒットには恵まれなかったが品質の高い作品群であり、幅広いジャンルに対応できる彼の魅力を堪能できる。特に「ユー・アー・マイ・ブレッシング」はもっとヒットしても良い楽曲だと思うのだが... 確かに80年代に入るとダンス・ミュージックが主体となり一口にソウルと言っても過渡期を迎えていたのも事実である。
 ナット・キング・コールのカバー「アンフォゲッタブル」などは思わず唸ってしまう名唱。この後なぜか「ナチュラル・マン」が収録されている(1971年・17位)。グラミー賞受賞曲だがこれだけキャピトルでもRIPでもなくMGMレコードの録音。R&B色が濃い渋い楽曲だが他の曲と聴き比べるのも一興であろう。以下「バーク、バイト」「スイート・テンダー・ナイツ」「タイム・ウィル・テイク・ケア・オブ・エブリシング」「ディド・ユー・エバー・ラヴ・ア・ウーマン」と続く楽曲はいずれもフィリーソウルらしい作品ばかり(RIPの立役者、トム・ベルが手掛けた楽曲もある)。残念ながらヒット曲満載という訳ではないがルー・ロウルズという優れたアーチストの70年代における魅力を俯瞰するには格好の作品ではないかと思う。
 尚、彼はゴスペルを歌っていた頃、ピルグリム・トラベラーズというグループで活動していたが、その時一緒だったのが幼馴染みのサム・クック。若くして失われた偉大なる才能の一つだが、サムはジョン・レノンも愛した「ブリング・イット・ホーム・トゥ・ミー(悲しき叫び)」でルーをゲストに迎えている。やっぱりルー・ロウルズはもの凄い人だったのである。
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