我が師、ジェフ・リン ジェフ・リン(ロック・ミュージシャン)
かなり限定されたエリアで再評価の気運高まる...?
我が師にして偉大なるロック・ミュージシャン
 今日はかなり限定されたエリアで再評価(実はわるわる一家のホームページだけ?)の気運が高まる我が師にして偉大なるロック・ミュージシャン、ジェフ・リンについて書いてみる。
 ジェフ・リンは1947年12月30日に英国バーミンガムで生まれている。よってまもなく65歳になる訳だ。しかしその風貌はほとんど変わらない(もっとも一貫してもじゃもじゃ頭にもじゃもじゃ髭でサングラスと来れば当然か)。1967年に自身のバンド、アイドル・レースを結成し音楽業界に打ってでる。しかし2年後彼は同じビートルズ教徒で奇才のロイ・ウッドに誘われロイのバンド、ムーヴに参画。そしてさらに2年後ムーヴは発展的解散を遂げエレクトリック・ライト・オーケストラ(長ったらしいので以降ELO)に進化するのであった。
 私が師に出会ったのは1975年であったと思う。“電球楽団?何じゃこりゃ?”とその奇体なバンド名にまず目がいった。そして「イヴィル・ウーマン」「不思議な魔術」という当時の優れたヒット曲から作品集「フェイス・ザ・ミュージック」に到達し完全にハマってしまう。ビートルズよりビートルズらしい等と評された素晴らしいソング・ライティング、ハードロックからカントリーソングまで自在にこなすアレンジセンス、世界最小のオーケストラというキャッチに恥じないロックと弦楽器の融合、そしてコンセプチュアルな作品作り... 我が師ジェフ・リンは全てにおいてその中心にいたのである。
 「10538序曲」で船出したELO(“10538”はデビュー作品集にレコード会社が付けた番号とのこと)は早々に船頭の一人、ロイ・ウッドを失うが彼もまた素晴らしい男で彼の“ELOは俺がいなくても偉大なバンドになるぜ、へっへっへ”という予言どおりになっていく。私がポップスを聴きまくっていた時とELOがヒット曲を飛ばしまくっていた時期はほぼリンクしていたので余計に印象深いバンドである。だが作品集「ディスカバリー」で少し風向きが変わってしまう。ELOは基本的なロック楽器4名にバイオリンとチェロ2本で構成されていたのだがこの作品集からストリングスがシンセサイザーに置き換わってしまったのである。“看板倒れとはこのことじゃ”と思った(しかし作品集としては抜群であった。誤解なきように)が案の定バンドは徐々に勢いを失いそのうち内部でももめ事が起こり消滅してしまった。
 しかしジェフ・リンはやはり偉大であった。ある時しばしブランクのあったジョージ・ハリスンの作品集をプロデュースし彼を見事復帰させたが、それは彼自身の復帰でもあった。トム・ペティ、ロイ・オービソン、デイヴ・エドモンズなどのプロデュースを次々手掛けその敏腕ぶりに評価はうなぎ登り。ついに1995〜1996年のビートルズ“アンソロジー”プロジェクトに参画、ジョン・レノンが残したデモテープを洗濯してポール、ジョージ、リンゴの歌と演奏とミックスしてビートルズの新曲を生み出したのである(「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」)。もちろんご本人にとっても至福の瞬間だったであろうが、私にとってももうこの頃にはストリングスがあるとかどうとかというレベルではなくその手腕にひたすら感服したものである。
 そもそも我が師ジェフ・リンの魅力は何なのだろう? 彼は主にボーカリスト/ギタリストであるがそれらの分野で秀でている訳ではない。やはり多くの音楽仲間ですら認めるビートルズを始めとするポップ・ミュージックへの深い造詣、そしてそこから生み出される優れたメロディが師の面目躍如たるところだと思う。
 そんな師も良き友達となったジョージ・ハリスンが亡くなってからすっかり噂をきかなくなった。だがそろそろ歳だし、ま、しゃーないか、と思っていた矢先、突如活動が活発になる。もはややりたい放題の感もなきにしもあらずだが(詳細は music のコーナーを参照下さい)師はやっぱり師である。老いてますます盛んなジェフ・リンに皆さんもぜひ大きな拍手を!
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