『やすらぎの季節』シングル盤 『やすらぎの季節』
デビッド・ソウル
"Don't Give Up On Us"
David Soul
Debut 1977.02 / Peak Position 1
 限られた小遣いから捻出していたレコード代... シングル盤を買い漁っている私を見て友人達はよく“もったいない”と指摘してくれたものだ。だがドーナツ盤1枚1枚が持つ思い出が70年代〜80年代のヒットソングとリンクしている...。

 ピアノと美しいストリングスの旋律からいかにもAOR的な男性ボーカルが入ってくる... 遺憾ながら最近はほとんど聴くことがない70年代ポップバラードの王道をゆく『やすらぎの季節』はリフレインの展開も鮮やかで見事に全米ナンバー1を獲得した。この楽曲を歌っているのはデビッド・ソウルである。この曲のヒットにおいては確かに楽曲の完成度もあったが歌い手の貢献度もかなり高いと思われる。実はデビッド・ソウルは1975年9月から全米でオンエアーされたTV番組「刑事スタースキーとハッチ」のハッチ役で大人気を博した俳優なのである。彼は1971年「ジョニーは戦場に行った」に出演して以降俳優の道を歩みハッチ役を引き当てたのである。映画の分野では全く名前が残っていないが以降もTV俳優として活躍したと伝えられる。では『やすらぎの季節』は俳優の人気にあやかった便乗ヒットなのか? いや、実はそうではない。そもそもデビッド・ソウルはシンガーを目指してフォークグループなどを結成して活動していた経歴を持つ。1967年、あるTV番組に毎回のように登場する覆面シンガーがいたが、番組の最終回覆面を脱いだ男はデビッド・ソウルだった! ということもあり一度はレコード・デビューを果たしたが残念ながら泣かず飛ばすで俳優に転向した、というのが真相である。だが若き日の夢は捨てきれず...『やすらぎの季節』はデビッド・ソウルにとってリターン・マッチであった訳だ。そういうチャンスやよい曲に恵まれたのも(曲を書いたのは英国のソングライター、トニー・マッコーレー)当時の彼の地位があった故、ということだがそれを一発でモノにしたのは運勢も含めた彼の力であることは間違いない事実だろう。尚、彼はアメリカではヒットを継続することは出来なかったものの英国では大人気で『やすらぎの季節』のナンバー1に続いて「愛はいつの日か」他を全英チャートに送り込んだ。特に3作目の「夜明けのシルバーレディ」は再び全英ナンバー1に輝いている。

 この曲がヒットチャートのTOPに登り詰めた1977年4月は高校2年生になったばかりの頃。この月、三菱電機がオーブンレンジの発売を開始したことになっている。1959年に東芝によって発売された電子レンジの便利さはすでに十分浸透していたと思うが、単に温めるだけでなく様々な調理を手軽に出来る、ということで大きな話題になったのは想像に難くない。
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