伝説のコンサートのリハ風景... 左からリンゴ・スター、ジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン、レオン・ラッセル バングラデシュ難民救済コンサート
(チャリティ・コンサート)
音楽の力をもって社会に貢献する...
チャリティ・コンサートの原点を省みる
 皆さんは1984年のクリスマスシーズンに世界的にヒットした「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」という曲をご存知であろうか。歌っているのはバンド・エイド。その実体は当時の英国の人気ポップ・アーチスト達でエチオピアの飢饉を世間に知らしめ救済のための資金を集めるためのチャリティ活動であった。翌年には録音に参加したアーチスト達がこぞって出演したチャリティ・コンサート“ライヴ・エイド”に発展。さらに米国勢を中心としたUSA・フォー・アフリカの結成、また例えば人種差別などの他の問題定義のための活動にも派生する。中心人物のボブ・デルドフ(ブームタウン・ラッツ)はこの功績によりサーの称号を与えられた。
 一部ではこれがポップ・アーチストによる最初のチャリティ活動のように思われている節があるが、実際は1971年に行われたバングラデシュ難民救済コンサートがその原点である。インド人のシタール奏者、ラヴィ・シャンカールは祖国の隣国バングラデシュで発生している難民の飢餓の現状に胸を痛めていた。インドの音楽家としては大規模なロック・フェスティバルに参加したこともあるラヴィであったが彼一人の力では大したことが出来ないと感じていたのだ。彼はそのことを友人であるジョージ・ハリスンに相談する。
 ジョージ・ハリスンは言わずと知れたビートルズのメンバー。この当時はすでにビートルズは解散していてぼちぼちソロ活動に入っていた頃である。“音楽の力をもって社会に貢献する”というアイデアに取り憑かれた彼はチャリティ・コンサートを企画、仲間達に電話をかけまくった。かくして1971年8月、アメリカのマジソン・スクエア・ガーデンにて“バングラデシュ難民救済コンサート”が開催されたのである。
 コンサートはまずジョージが現れラヴィ・シャンカールを紹介、観衆に静聴を求める。ラヴィは4人編成のグループでインド伝統の楽器によるオリジナル曲「バングラ・デューン」を演奏した(最初の演奏が終わって観衆は大いに拍手喝采したが実はチューニングが終わっただけだった、という逸話あり。ちなみに本当の演奏は約15分に渡る神秘的なものであった)。その後に急遽集まったポップ・アーチスト達による特別バンドが登場。その演奏に乗ってジョージが持ち歌(ソロでお馴染みの「マイ・スイート・ロード」やビートルズの「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」など)を歌う他、ゲスト達の見せ場もそれぞれに用意された。黒人のキーボードプレイヤー、ビリー・プレストンはゴスペルタッチの「神の掟」を熱唱(途中からはステージ狭しと踊り周り観衆を盛り上げた)、盟友リンゴ・スターはドラムを叩きながら「明日への願い」を歌う。当時は麻薬中毒で一線から姿を消していたエリック・クラプトンも登場、ビートルズの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でジョージと競演した。米国人のレオン・ラッセルも参加、強烈な個性を発散させてローリング・ストーンズのカバー「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」などを歌う。ビートルズの面々とも交流の深いクラウス・ヴアマン(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)らが脇を固める他、ビートルズの子分バンドとも言われたバッド・フィンガーの面々も隅っこに控える。
 しかし何より観衆に感銘を与えたのはボブ・ディランの登場であろう。社会的なメッセージを歌に乗せることが多い米国人の彼の登場は大きなインパクトがあった(ちょうどバイクの事故で音楽活動が滞っていた直後でもあった)。「激しい雨が降る」「風に吹かれて」や「女の如く」が歌われひときわ大きな拍手が湧いた。コンサートはこの直前にジョージ・ハリスン名義でシングル発売されたその名も「バングラデシュ」を演奏して幕を閉じる。
 もちろんコンサートは限定された空間・期間という制約がありその収益にも限界がある。だがコンサートの模様はレコードやビデオとなりさらに大きな収益を導き出した。ジョージ・ハリスンは2001年に亡くなってしまったが、2005年には映像作品「バングラデシュ・コンサート」がリメイクされ、新たにメイキング的な映像が追加された。そこには未発表となっていた演奏やリハーサル風景の貴重な映像、当時この歴史的なコンサートに参加したアーチスト達の回想インタビューなどに加え、アナン国連事務総長のコメントも記録されている。彼は世界中のアーチストにもっともっとチャリティに参加するよう求めているのである。
 チャリティに対するアーチスト達の意識は間違いなく変わった。それもまたバングラデシュ難民救済コンサートが残した大きな功績であろう。そしてこの記録に接すれば接するほど政治家のまぬけさ加減に嫌気がさすのは仕方がないのだろうか...。
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