Late 1977
Akiyoshi Took His Camera...
橋本明宣自身の撮影による伝説的なファーストアルバムのジャケット写真新曲が揃うと洛東UNDERGROUNDはレコーディングを開始した。ほとんどが橋本の家(日ノ岡スタジオ)で、ピアノのテイクを録る必要がある場合などに山口の家(山科スタジオ)が使用された。すったもんだしながらもレコーディングが佳境に入ったある日、橋本はやおらカメラを取り出し他の二人に言った。「ジャケット写真を撮りに行こう!」...

「撮影場所は少し前から目星をつけていた。イメージはビートルズの“ヘイ・ジュード”だった」... 橋本が語るその場所は山科疏水の山科側の端っこ、彼らが呼ぶところの“万歩(まんぽ)”というところに隣接している情緒あふれる洋館である。「とりあえず行こう、と言われたんで何も考えずについていった。でもよくできた写真やと思う」と語るのは森岡。一方山口は急に言われた割にはそれなりのファッションとサッカーボールを用意している。「あの時は確か山科スタジオで録音を行ってたと思う。だから段取りが良かったのさ」...

今もファンが訪れるジャケット写真の場所... (2002.4撮影)橋本は他の二人を指図しあの構図を決定。シャッターのタイマー機能をONにした。かくしてあの伝説のファーストアルバムのジャケット写真が誕生した。しかしこの感動的な写真が世に知らしめられるまで、まだしばしの時間が必要であった。引き続き彼らはレコーディングに没頭したのである...。


彼らが言う“万歩”ってこのトンネルのことか? (よく分からない)
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